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武道教育のあり方~中学校の武道必修化を考える

 昨年11月17日、愛南町の町長である清水雅文氏が高見空手の最高顧問に就任されました。清水最高顧問は、高見空手の前身である極真会館愛媛南豫支部の発足当初から、四国では数名しか許されなかった極真の黒帯として何度も全日本大会に出場された武道家であり、また現在は、熱心に子供の教育問題に取り組んでいらっしゃる政治家でもあります。

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 そして高見空手の道場訓を気に入って頂き、子供たちへの武道教育の必要性や取り組み方など、ご指導頂いております。

 そこで今回の正拳コラムは『武道教育の在り方』について述べたいと思います。

中学校の武道必修化について

 平成20年、文部科学省は、中学校学習指導要領を改訂して武道を中学生の必須科目に定め、平成24年に完全導入されました。

▼ 中学校武道必修化サイト
http://goo.gl/Ja6yaj

 高見空手サイトの「概要」では、武道経験のない先生が教えるには限界があると述べましたが、世間でも現状「武道必修化」の価値の疑問視や弊害を主張する方など賛否両論あり、右から左まで様々な意見がありました。

 私は、有名な武術家はじめ多くの意見を読んでみたのですが、少々、論点というかポイントが外れているように感じられました。そもそも中学校の体育の授業は週3回程度。その内の何回が武道の授業になるのでしょうか。多くの方々が大上段から武道の「術」の習得の難しさなど熱く論じていましたが、是非のポイントは違うと思います。

 当たり前のことですが、文科省は、わずか数時間程度で武道が習得できないことくらい承知しています。柔道であれば受け身とか、学校の限られた授業で教えられるのは入門の触りの部分まででしょう。(誤った指導する先生は論外として)

 文科省が期待するのは武道の習得でなく、「礼儀・礼節、相手に対する敬意の念」など、子供たちが武道にある日本の伝統的な精神性に触れて、相手を尊重して練習や試合ができるようにするためです。また、荒廃しつつある子供たちの心に武道精神が好影響を及ぼすことを期待してのことです。そして、武道を習得したい子供は、別途、クラブ活動や町道場で習うでしょう。

 私は、武道経験のない先生の授業の限界を認識しつつも、必須化によって教育熱心な先生たちが新渡戸稲造著の「武士道」はじめ、最近では「女子の武士道」「日本人の知らない武士道」などの本を読んで武道精神を勉強されることは、教育現場に好ましい影響があると思っています。

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 また、アメリカでの大山泰彦最高師範の内弟子時代、私は週に一度、小学校で空手を教えていましたが、やはり先生やご父兄が期待したのは、子供たちが空手道に触れて、
「修行、礼儀・礼節、謙譲の美徳、惻隠の情、相手に対する敬意の念」という精神性を学ぶことでした。先生も修行のある世界をことさら強調され、私の他にも大工、エンジニア、消防士も招いておりました。

 私がお手伝いしたアラバマの小学校の取り組みは、文科省の「武道の授業必須化」の目的となんら変わりはありません。

子供たちに教えたい武道精神

 私が生まれる二年前の1964年に開催された東京オリンピック。柔道の無差別級代表の神永選手は、決勝でオランダ代表のアントン・ヘーシンクに敗れてしまいます。柔道母国・日本が負けたショックに静まりかえる日本武道館。そして歓喜のあまりオランダ関係者がヘーシンクの元に駆け寄ろうとしました。ところがヘーシンクはこれを手で制止し、ガッツポーズもなく静かに試合場を後にするのです。

残身(残心)、礼に始まり礼に終わる試合、敗れた相手に対する敬意と惻隠の情…

 日本人は、日本柔道が敗れたショック以上に、外人のヘーシンクが持つ日本古来の武士道精神に衝撃を受たそうです。

 神永選手が、柔道母国の代表として、どれだけの期待とプレッシャーを背負い、どれだけ苦しく大変な稽古を積み重ねてきたのか。自分が倒した相手の全てを受け止めて理解し、おもんばかってのリスペクト。これがヘーシンクの『惻隠の情』による残心です。

 残念ながら現在、私たちは、こうした精神性に触れる機会が少なくなりました。これは、プロスポーツにプロ格闘技と、興業を盛り上げ観客を楽しませるための演出や話題作りが、アマチュアスポーツに好ましくない影響を与えているからかも知れません。

 しかし武道の世界、例えば『日本人の知らない武士道』著者のベネットさんが示す剣道はじめ武道の世界には、ヘーシンクが体現した日本の武道精神が今もあります。文科省は、僅かな武道の授業であっても、この日本の伝統的な精神を子供たちが身に付けるキッカケになってほしいと中学校の「武道必修化」を施策したのです。

 そして、私たち町道場である高見空手の役割として、学校の「武道の授業」を補完することが挙げられます。

 高見空手には、子供たちは元より空手道に邁進する学校の先生たちもいらっしゃいますが、より多くの子供たちが武道精神に触れる機会が増えるよう、アメリカ留学時代と同じように学校・教育機関からの要請・要望には積極的に対応させて頂きたいと思います。

 道場での先生と子供たちの体験稽古など課外授業の受け入れ、先生方への空手講習、小中学校に赴いての武道授業のサポートなど、私たち高見空手がお役にたてることがありましたら、何なりとご相談ください。

高見空手の武道教育

 それでは高見空手の武道教育の一端をご紹介させていただきます。過去コラムで述べた通り、武道を深く突き詰めると言葉では言い表せない不立文字・教外別伝ですが、具体的な精神性は「高見空手 道場訓」に集約されます。

 そして稽古での師範と門下生のハイタッチな交流を通じて、礼儀礼節、孝行、惻隠の情、文武両道など指導しております。高見空手は壮年部も充実し、子供たちは人生経験豊かな壮年部はじめ大人たちとハイタッチな交流をすることができます。修行者として同じ道を志す大人との交流が、子供たちによき影響を及ぼすことは言うまでもありません。

 文武両道に関しては中里美悠初段のレポートを読んで頂けたらご理解して頂けると思います。

▼ 文武両道:中里美悠 昇段レポート
https://www.karate-do.jp/archives/224.php

 また感覚的ですが、正座・黙想・礼から始まり、正座・道場訓の唱和・黙想・礼で終わる空手道の稽古。そこには張りつめた空気と緊張感、清涼感の漂う武道特有の雰囲気、世界観が存在します。スポーツの練習には無い、凛とした武道稽古の雰囲気に触れる体験は、学校の授業では教えられられない何かしらを伝えることが出来ると思います。

 もう一つ、高見空手では大会や試合よりも日々の稽古そのものに重きを置いていますが、さらに勉強に仕事と日々の生活そのものが空手道の修行、『道』の修行として、日常生活を疎かにしては真の強さは身につかないと説いています。

■ 勝海舟『きせん院の戒め』と日本の『恥の文化』

 ところで勝海舟著『氷川清話』の「きせん院の戒め」の章に、勝海舟が自戒した一節があります。

『自分の心に咎めるところがあれば、いつとなく気が餒(う)ゑて来る。すると鬼神と共に動くところの至誠が乏しくなって来るのです。そこで、人間は平生踏むところの道筋が大切ですよ。』

※概意
自分の良心に反することをすると、後ろめたくなって気力も萎え、神仏の守護も至誠も乏しく、うだつが上がらなくなってしまう。人間、日頃の筋道やおこないが大切です。

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 明治維新の動乱期に国のため疾走した勝海舟ならではの言葉で、常日頃からの自分の心に咎めることのない私心無き生き方によって、ここ一番で「無偏無党、王道堂々たり矣」が貫けたのではないでしょうか。

 この話を古典に詳しい先輩に伝えたら、
『勝海舟は、国政では自分の心に咎めるところのない生き様で、堂々と西郷隆盛はじめ薩摩や長州と折衝した一方、私生活は女性関係がやましいことだらけ。当然、神仏の守護も誠もないから夫婦喧嘩は連戦連敗。妻から一緒の墓には入らないとまで言われ、生涯、頭が上がらなかった。勝海舟の教え通り、何事も日頃のおこないが大切だよね!』と、大笑いしてました。

やはり人間、日ごろの生き方、道筋が大切です、押忍!

 閑話休題、勝海舟の一節は、孟子の『自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かん。』(自分の良心に恥じるところがなければ、千万人の敵に対しても恐れることなく向かっていく!)という「浩然の気」にも相通じ、中里師範の指導『本物の稽古には、ウソやごまかしは通用しない!』にも共通した意味があります。

 また、昔の親や先生たちは、子供を叱るとき『恥ずかしいと思わないの?』『恥を知りなさい』『(誰も知らなくても)お天様が見ている』と諭しました。自分の心に咎めない生き方とは、言い換えれば自分の良心(または天)に恥じない生き方です。

 高見空手では、この恥ない生き方が真に人間を強くすると指導しております。常日頃の良心に恥じない行動は、子供たちに自信と誇りをもたらして「浩然の気」を養い、本当の強さを身に付けた堂々として立派な人間に成長できると思うからです。当然、恥を知る子は、弱いものイジメなどしません。

 この「恥の文化」が日本の伝統的な精神性であり、「恥の教育」こそが武道教育の特性ではないでしょうか。

-武道教育の要諦-
廉恥の心は義の端なり 信義誠実を宗とせよ!
高見彰 押忍!

 次回の正拳コラムは、さらに武道精神を掘り下げて「日本武士道の源流」に、少しでも頑張って迫りたいと思います。
 

参考『きせん院の戒め』 勝海舟著「氷川清話」より抜粋

 昔本所に、きせん院といふ一個の行者があって、その頃流行した富籤の祈祷がよく当るといふので、非常な評判であったが、おれの老父が、それと親しかったものだから、おれもたびたび行ったことがある。ところが越前守が出て来て、やかましく富などの取締をせられてからは、忽ち流行らなくなった。
 それから段々とおちぶれて、後には汚い長屋に住んで居たが、誰も末路といふものは、憐れなもので気の毒だから、時々野菜などを持って行ってやった。
 この行者も、もとはなかなかのもので、肉食妻帯はおろか、間男なんか平気なもんで、一種太いところを持って居たが、かう落槐してからは、身体も気分も段々と弱り込んで来た。
 或る日のこと、おれは例のごとく何か持って見舞ひに行ったが、彼はおれに向ひ、
「貴下はまだ若いが、なかなか根気が強くって末頼母しい方だによって、私が一言お話をしておきますから、是非覚えて居て下さい。必ず思ひ当ることがあります。一体、私の祈祷が当らなくなつたに就いては、二つの理由があります。一つの理由は、或る日一人の婦人が、富の祈祷を頼みにやって来ました。ところがそれが素敵な美人であったから、覚えず煩悩に駆られて、それを口説き落し、それから祈祷をしてやりました。ところが四、五日すると、その祈祷に効験があって、当籤をしたといって礼に来ましたから、またまた口説き掛けると、彼の美人は恐ろしい眼で睨みつけ、”亭主のある身で不義な事をしたのも、亭主に富籤を取らせたい切な心があつたばかりだ。それに又候不義を仕掛けるなどとは、不届千万な坊主めが”と叱った。その眼玉と叱声とがしみじみ身にこたへた。それから今一つは、難行苦行をする身であるから、常に何か生分のある物を喰って、滋養を取って居ましたが、或る日の事、両国で大きなすっぽんを買って来た。ところが誰も怖がつて料理をする者がないから、私が自分で料理をせうとすると、彼のすっぽんめが首を持ち上げて、大きな眼玉をして私を睨んだ。私はなーにと言ひつつ首を打ち落して料理して喰って見たが、しかし何となく気にかかった。
 この二つの事が、始終私の気にかかって居て、祈祷もいつとなく次第に当らなくなったのです。それといって、何もこの二つがたたるといふわけでもあるまいが、つまり自分の心に咎めるところがあれば、いつとなく気がうゑて来る。すると鬼神と共に動くところの至誠が乏しくなって来るのです。そこで、人間は平生踏むところの筋道が大切ですよ」と言って聞かせた。
 この話を聞いて、おれも豁然として悟るところがあり、爾来今日に至るまで、常にこの心得を失はなかった。全体おれがこの歳をして居りながら、身心共にまだ壮健であるといふのも、畢竟自分の経験に顧みて、いささかたりとも人間の筋道を踏み違へた覚えがなく、胸中に始終この強味があるからだ。この一個の行者こそ、おれが一生の御師匠様だ。
 
※氷川清話は、勝海舟のリップサービスたっぷりの面白い本ですが、
「いささかたりとも人間の筋道を踏み違へた覚えがなく」を勝海舟の妻が聞いたら
「どの口が言うか!」と怒り出しそうです、押忍!
 
以下のコラムもどうぞ。
文武両道vol.1
 

武道イノベーション、日々鍛練を宗とせよ!

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 新春、正拳コラム第一弾です、押忍!
 先日、あるビジネスセミナーに参加された知人から以下のお話を聞きました。セミナーで改革派の某政治家が講演され、次のコメントをされたそうです。

『日本の社会は、最初から完全を求めすぎる。合格ギリギリ60点を取っても足りない40点を指摘して潰したらイノベーションは起こらない。アップルの創業者スティーブ・ジョブズも、最初は完成度の低いMacintoshやiPod、iPhoneを製作し、後からバージョンアップで改善を繰り返して完成度を高めてイノベーションを起こした。未完成なもの、未熟なもの、発展途上なものは寛容を持って成長を見守らないとイノベーションは起こらない。足りない部分を叩いて芽を摘んではいけない!』

 この話を聞いた時、私は極真会館から独立した高見空手の試行錯誤の2年間が思い浮かびました。ここまで高見空手が来れたのは、独立したばかりで組織体制も不十分、道場訓すら決まっていない高見空手を皆さまが寛容の心で見守り、応援し支えてくださったお蔭です。ここに改めて御礼申し上げます。

ありがとうございました、押忍!

 また思えば、この高見空手ウェブサイト一つとっても既にデザインは三代目。一歩また一歩とWEB課が作り込み、コンテンツを充実させてここまで進化させることができました。

 ▼ 初代・高見空手サイトのヘッダー
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 ▼ 初代・高見空手サイト(2014年7月13日)
http://archive.is/6C4oK

 そして、このイノベーションのお話は、他にも私たち武道家に修行の心構えも教え示していました。

イチローに見るイノベーション

 みなさまご存知の大リーグで大活躍のイチロー選手の野球に取り組む姿勢で興味深い話があります。イチローにとって、敵とは投手や相手チームでなく自分自身。少年時代より、ひたすら理想のバッティングを追い求めて地道な努力を積み重ね、パワー主体だった大リーグに技とスピードのイノベーションを巻き起こしたイチローがあるのです。

 そんなイチローですが、過去、一度だけ大きく調子を崩した時がありました。それはゴジラ松井選手が大リーガーに来た時。理想のバッティングを求め自分に勝つことを目指していたのが、始めてライバルに勝とうと松井選手を意識してしまったのです。しかし流石はイチロー、すぐに軌道修正して松井選手という外観に囚われず、再び修行者としての自己研鑽に戻ります。

 ライバルは自分自身、理想のバッティングを目指して精進努力。

 これがイチローが野球選手と言うより修行僧と評される理由です。未完成で未熟な己を見つめ、理想を目指して日々鍛練。一歩また一歩と努力を積み重ねていく。スポーツも、勉強も武道も、日々の地道な精進努力の積み重ねの先に大きな飛躍、イノベーションが起こるのです。

 私たち武道家もイチローに学び、進歩向上を喜びとし尊しとして、日々の稽古に重きを置いて修行しなければいけません。稽古とは「内観」すること。武道は心技を磨き徳に至る「道」ですから!

競技・スポーツと武道の違い

 ところで極真時代の話ですが、ヨーロッパでは多くの選手が、大会出場などを機に現役を引退すると空手を辞めてしまうそうです。この話を聞いた時、彼らは名誉・名声のために競技・スポーツとして空手をトレーニングし、武道として『空手』を修行していないと感じました。当然、『引退』という言葉にも違和感を感じます。

 大会や昇級/昇段は、節目であり精進努力の糧であって、目的ではありません。

 何より大切なのは日々の稽古であり、向上心が途絶えることは、武道家としての「道」が途絶えることに他なりません。

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 私が師事した大山泰彦最高師範しかり、高見成昭総師しかり、いまだ「道」を極めようと稽古しております。また、昇段合宿に参加した75歳の藤田誠一参段をはじめ、心技を極め悟ろうと弛まぬ向上心を持って稽古に取り組んでいる道心(みちごころ)ある多くの壮年部の方々がいらっしゃいます。皆さま「道」に生きているのです。

『 蝸牛(かたつむり) 登らば登れ 富士の山 』
 山岡鉄舟

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 高見空手一門の皆さまには、正月は武道修行の原点に立ち戻って、今年一年、空手道に邁進して頂けたらと思います。

武道の心は徳の端なり 日々鍛練を宗とせよ
高見彰 押忍!

道の巨匠・大家(たいか)に学ぶ

 少々前のお話です。

 今年の4月、上京して郷田道場(極真会館 城東支部)時代からの大先輩で大山泰彦最高師範の内弟子時代にもお世話になりました高橋督先輩(大山空手アトランタ支部高橋道場)と後輩の三井真吾君(以下、シンゴくん)と銀座で待ち合わせして久々に会い、新橋のジョナサン(ファミレス)で昔話に花を咲かせました。三人一緒に会ったのは実に27年ぶりです。

 アラバマの内弟子修行の話から、シンゴくんが一目ぼれしたアメリカの女の子の話まで(笑)、会話は多岐に渡り、尽きることなく大いに盛り上がり旧交を温めることができました。

 また長年、泰彦師範に師事し続け、誰よりも私の内弟子時代をご存知の高橋先輩より、
「アキラにとって黄金の修行時代だったよな」と、ご指摘いただきました。本当に私も黄金の時だったと思います、押忍!

" class="protect" alt="ファイル 199-2.jpg" width="530" height="330" />※写真:左より私(高見彰)、シンゴくん、高橋先輩

 その後しばらくして今度は同じく郷田道場時代の先輩で大阪の某大手家電会社にお勤めのM先輩と夕食を共にしました。

 M先輩に高橋先輩のことをお伝えしたところ
「高橋先輩は、黄帯だった僕やSくんのこと覚えてるかなぁ?」と言われたので、覚えている旨をお伝えしたら喜んでいました。そして
「しかし高橋先輩しかり、彰くんも凄いよね。内弟子として郷田師範に泰彦師範という二人の空手道の大家に師事したんだから」と褒められ(嬉しかったです)、M先輩が上司から聞いた『道の巨匠・大家に学ぶとは如何なることか』のお話を教えて頂きました。

 それは武道のみならず茶道や絵画に音楽、料理など様々な世界で道を極め、日本一、世界一となった巨匠や歴史に名を残すような大家は、過酷な修行によって頂点に立つのに見合う激しいご気性やご性格の方が多く、内弟子となって技芸の教えを乞うのは大変なこと。でも、この苦労や葛藤、理不尽を乗り越えて滅私奉公で修行するからこそ磨かれ、師の心技を受け継ぐことが出来る。これが内弟子の醍醐味。

 またM先輩は、大山倍達館長(総裁)に創成期から最後まで師事し続けた郷田師範は本当に凄い。泰彦師範が郷田師範を慕うのは、言葉では言い表せないような様々なことを乗り越えて館長に師事し続けた人間力ではなかろうか?社会人になって初めてわかったよと、仰られていました。

 思わず私も納得してしまいました!

(ちなみに泰彦最高師範のご指導は、知的で理路整然として理不尽はございません。ただ反論の余地のない隙のない分、逆に厳しかったかも知れません。)

 そして、道を極めた巨匠は富士山と同じ。離れて眺めると美しいけど、いざ登ってみると溶岩ゴツゴツで天候の変化も激しい。内弟子は身近な分、往々にして天候の激しさや溶岩ゴツゴツしか感じられず、富士山の美しさや偉大さを見失って挫折することも多い。

 私は、M先輩から教えて頂いた『巨匠の富士山説』に感動するとともに、高橋先輩から指摘された郷田勇三最高顧問と大山泰彦最高師範に師事した内弟子時代が、自分の空手道人生にとって『黄金の修行時代』だったことを再認識しました。郷田最高顧問、泰彦最高師範、有り難うございました。押忍!

 また両先輩のお話より、苦労や葛藤あってこその内弟子修業と思いました。

 歴史に名だたる道元禅師や臨済禅師など、脂が乗って過酷な修行をしていた時の弟子からは名僧が排出されたそうですが、晩年の悟って温厚な時の弟子は、その分、甘くなってパッとしなかったそうです。

 修行者は、苦労や葛藤によって魂が磨かれ、心技に深みが増す!

 これが巨匠に学ぶ内弟子はじめ、全ての修行者に必要な心得ではないでしょうか。

 ちょっと話は変わりますが今年の高見空手の夏合宿は、気温35度、湿度100%の不快指数マックスという大変厳しい環境だった分、素晴らしい稽古が出来ました。やはり苦労あってこその修業です。

 高橋先輩&シンゴくんとの青春の邂逅は、私に修行者としての在り方を思い出させてくれました。そして改めて郷田師範と泰彦師範の内弟子出身者として、誇りを持って空手道に邁進いたいと来年に向けて心新たに決意した次第です。

高見 彰 押忍!

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その後、高橋先輩がブログで以下の記事を投稿されているのを発見しました。

▼ ワールド大山空手アトランタ支部高橋道場 Un-Official blog

・Japan Trip 2015 Part 1(シンゴ編)
・Japan Trip 2015 Part 2(アキラ編)

 この記事をS先輩に伝えたところ
「あっ、高橋先輩だ、ペリーさんだ、山岡さんだ。メチャ懐かしい!」と興奮され、郷田道場時代を懐かしんでおりました。

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 M先輩、S先輩ともに大学卒業・就職で空手から離れて30年ですが、郷田道場で稽古した時を懐かしがり、楽しい時よりも大学受験の浪人時代とか空手の稽古とか、振り返ると苦しかったり大変だった時の方が大切な思い出、人生の宝物になっているんだよねとも言ってました。

まったく同感です、押忍!

追加:
その後、S先輩より、以前、何かの本で佐藤塾の佐藤勝昭宗師が「巨匠は富士山説」で極真を離れてから改めて大山総裁の偉大さを認識した旨のお手紙を総裁に送られたエピソードを読んだ覚えがあると教えて頂きました。

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 今年も残すところあと僅か!

 皆さまには高見空手にご尽力いただき誠にありがとうございました。来年も皆さまに喜んでいただける正拳コラムを投稿できるよう頑張って精進努力しますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。
高見 彰 九拝

山中鹿介の大和魂と三尺三寸箸

 今回は「山中鹿介の大和魂」コラムです。以前、所用で上京した折、ある先輩に吉祥寺東急百貨店でトンカツ定食をご馳走になりました。その翌日、松山に戻ってお礼の電話をした時、次回は新宿ルミネの「三尺三寸箸」で食べようと話が盛り上がり、ここから何故か山中鹿介の武道談義で盛り上がりました/

 歴史に詳しい方は山中鹿介をご存じとは思いますが、知らない読者もいらっしゃると思いますのでご説明いたします。

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 山中鹿助幸盛(やまなかしかのすけゆきもり)は、安土桃山時代に尼子家に仕え『山陰の麒麟児』と謳われた武勇に優れた武将です。しかし尼子家は、毛利との戦いに敗れ、次々と武功を立てる山中幸盛の奮闘もむなしく滅んでいきます。山中鹿助は、尼子家残党とともに三度決起して尼子家再興を目指しました。そして、いかなる困難があろうとも必ずや尼子家を再興させると、敢えて不吉とされる三日月に向かって
『天よ、願わくば我に七難八苦を与えたまえ!』と祈った逸話は大変有名です。
 しかしながら鹿助は夢破れ、34歳(一説に39歳)にして志半ばでこの世を去ることになります。

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 その後、山中鹿介の生き様は「忠義の武将」「悲運の英雄」として人々に語り継がれていきます。後に勝海舟は、
「ここ数百年の史上に徴するも、本統の逆舞台に臨んで、従容として事を処理したる者は殆ど皆無だ。先づ有るというならば、山中鹿介と大石良雄(赤穂浪士)であろう。」と評しました。

 義を貫くため艱難辛苦に挑む不撓不屈の精神力、敗戦でしんがりを勤めた時でさえ追撃する敵を七たび撃退して七人の敵将を打ち取る強さ。山中鹿助の『武』とは、『強さの秘密』とは何なのでしょうか。

 携帯の武道談義は盛り上がり、結論は一つの言葉へと集約されていきます。

『 利 他 』

利他と三尺三寸箸

『利他』とは、他人の福利を願うこと。我がことを離れて他人に利益を与えることを意味します。また仏教では、人々に功徳、利益を施して救済することを指し、「三尺三寸箸」の法話が有名です。三尺三寸の長いお箸では自分の口元に食べものを持ってこれませんが他人には食べさせることができるのです。

 人は、時として「私欲」よりも「利他」が大きなパワーを発揮します。私がこのことを感じたのは、東北大震災の救援活動で米軍を指揮した上官のインタビューでした。上官は、過去の作戦と比べ、これほど兵たちが不眠不休にも関わらずエネルギッシュに行動している姿を見たことがないとコメントしていました。

 また最近では、ラグビーW杯での日本代表の活躍です。ラグビーには「One for all, All for one」(一人は皆のために、皆は一人のために)という『利他』を意味する有名な言葉があります。そして、日本代表選手の中には、ニュージーランドやトンガなど優勝を狙えるチームに誘われたにも関わらず、敢えて実績のない日本代表となって優勝を目指すことにした選手もいたとか。話題にすら挙がらないチームに入って優勝しようとする心意気こそ武士の歌心、『剣魂歌心』を感じてしまいます!

(なぜか五郎丸選手のFK前のポーズ月に祈る山中鹿介と重なって見えたりしてw)

 大儀、忠義、恩義など「義の心」には『利他』があり、優しさや思いやりなど「惻隠の心」の根底にも『利他』があります。私欲や損得でなく、我がことを離れて主君のため、愛するもののために敢えて艱難辛苦に挑む。この『利他』こそが山中鹿助幸盛の強さの秘密であり、義の心や惻隠の心から『利他』のために艱難辛苦に挑む勇猛心を以て『大和魂』と言ってもよいのではないでしょうか。

孝を原点として他を益す

 高見空手では「惻隠の心」を養うことが武道・空手道と指導していますが、同時に「惻隠の心」や「義の心」があってこそ、人として本当の強さを涵養できると考えています。優しさや思いやりから「お友達を守りたい」「強くなってパパとママを幸せにするんだ」等、幼いながらも『利他』の志を持った子供たちは、武道修行を通じて強く逞しく成長していきます。

 また、逆また真なりで空手道の世界においても本当に強い方は、気さくで優しい方がたくさんいらっしゃいます。ここで一人でも実名を挙げたら、全員の実名を挙げなければならなくなるので涙を飲んで割愛させて頂きますが、先々月もわざわざ旧交を温めに松山までお越しになられた某先生はじめ、私が懇意にさせて頂いている空手の先生方は、みなさま義理堅くて惻隠の心をお持ちの優しく楽しい方々ばかりです/

最後に、皆さまご存じの大山総裁のお言葉『孝を原点として他を益す』が『利他』を意味することは言うまでもありません。

利他、強さとは優しさなり!拳魂歌心を宗とせよ。
高見彰 押忍!

ーーーーー

 来年、東京に行った折には、新宿ルミネの和風ビュッフェレストラン「三尺三寸箸」で山中鹿介の『武;利他』に思いを馳せながらお腹一杯食べたいと思います。

拳魂歌心!惻隠の心を養いなさい。

 今回は高見空手 道場訓 第一条でお馴染み「惻隠の心」にまつわるショートコラムです。

 先日、高見空手ホームページで道場訓を読まれた極真時代の古い先輩からお電話を頂き、興味深いお話を聞きました。

 それは今から20年くらい前、先輩が所属する営業部に配属されてきた後輩のM君の教育を任され、OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)で指導された時のエピソードです。

 M君が仕事でミスをして先輩がご指導される時、毎回、何故かM君の目つきが悪くなり、言葉が心の壁にブロックされて指導内容が理解されなかったそうです。お説教が頭と心に入って行かない。何かおかしい…?

 そしてある日のこと、二人で居酒屋に飲みに行った時に原因が判明しました。M君は、学生時代に中国武術を習っていたそうで先生から

「上司に怒られても負けないよう、上司を小さく、自分が圧倒的に大きくなるよう強くイメージしなさい!」

と、教わっていたそうです。これを聞いた先輩は、

「なんだ、その妖しい想念術は? そんなことしてたら仕事が修得できないじゃないか。自分の何が至らないのか、何が足りないのか受け取らないと。勝ち負けじゃなく学ぶことが大切だろ?」

と叱ります。更にM君は、中国武術の先生から

「憎しみを持ち、相手が無残に倒されて苦しむ姿をイメージしなさい。」
「(人の心を棄てて)ヘビや虎、猛獣になり切って相手を襲いなさい。」

と指導され、稽古してきたそうです。

これを聞いた先輩は絶句し、

「相手の不幸を強くイメージするなんて…。それって呪いじゃん。どおりで目つきが悪くなるハズだ。そんなの本当の強さじゃない。それに人を呪わば穴二つ。お前、本当に不幸になってしまうぞ!」

「万物の霊長である人間が心を棄てて、動物に成り下がってどうする?」

と、酔いに任せて徹底的にお説教。

「大学時代、俺が習っていた極真は、稽古も試合も礼に始まり礼に終わる。試合の相手も競うことでお互い心技を磨き合う敬意すべき存在。お前の習った中国武術の何処に‘徳’があるんだ?‘道’があるんだ?」

「妖しい技や想念術なんぞに心を囚われると、まっとうな社会人になれんぞ!」

アルコールの勢いにまかせた先輩の怒涛のお説教によって、M君は目からウロコが落ち、居酒屋を出る頃には悪い憑きものが取れたかのように顔つきも穏やかに変わって明るくなり、心の壁もなくなって言葉が通るようになったそうです。

先輩、グッドジョブ です、押忍!!

そして先輩は私に、

「俺、大学卒業して30年以上も空手を離れてるけど…、高見空手の道場訓ってカッコいいよね。孟子の哲学は武士道に大きく影響してるし、やっぱ人徳を磨いて立派になるのが今の武道を習う目的だよ。武から入り徳に至る、日本武道はこうでなくっちゃ。怪しい中国武術の世界なんかに足を踏み入れちゃいかんわ!」

と仰られていました。

ありがとうございます、押忍!

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日本武道は、正法に不思議なし!

 先輩のお話を聞いた時、私は、

 これが「武術」と「武道」の違いだ。妖しい武術は「敵に対する惻隠の情;剣魂歌心」という日本武道・武士道精神、大和魂とは相容れない。「武徳の涵養」「徳に至る道」が日本武道空手道だ!

と、改めて思った次第です。

 世の中には常識と良識のある善良な武術の先生がいらっしゃる一方、相手の不幸を強くイメージさせたり、妖しげな能力をひけらかしたり、人の心を放棄するよう指導する輩がいるのが残念で、私は怒りを禁じ得ません。このような人物の指導を受ける子どもたちが不憫でかわいそうです。

 高見空手では、門下生に道場訓よろしく『優しさや思いやり、惻隠の心を養うのが空手道』『武から入り徳に至るのが空手道』と、折あるごとに指導させて頂き、私自身も日々鍛練と道場生と共に稽古で汗を流し修行しております。

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 日本武道は『正法に不思議なし』です。

 子どもに武道教育を検討されている皆さまには、妖しい技や摩訶不思議な技、人の道から外れた想念法などに興味を抱いたり惑わされたりすることなく、「術」でなく「道」を、常識と良識、社会性のある流派や先生を選んで頂きますようお願いします。惻隠の心を養うこと、武徳の涵養こそが武道ですから!

一に曰く、
惻隠の心は仁の端なり 拳魂歌心を宗とせよ
高見彰、押忍!

次回コラムは、大和魂をテーマに、山中鹿介の『武』について述べたいと思います。
お楽しみに。

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