山岡鉄舟が教示する武士道/武道感 vol.3
※旧タイトル:「あんぱん」と「味付け海苔」vol.3
前コラムでご案内した小説「命もいらず名もいらず」を読まれた方も多いかと思います。それで私が追加で紹介を受けた鉄舟の小説も紹介させて頂きます。
津本陽 著 『春風無刀流』 文春文庫
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この本は、残念ながら廃版でアマゾンで購入しようと思ったら、古本しかありませんでした。内容は「命もいらず名もいらず」と同じく淡々とエピソード(事実)を並べた構成で重複しない部分が多く、津本陽だけあって読みごたえがあります。ぜひ『春風無刀流』も合わせてお読みください。
※余談ですが私がアメリカ留学中、大山泰彦師範に渡され初めて読んだ津本陽の本は『剣のいのち』でした。
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皆さまは、山岡鉄舟を知ることで様々な「武」を受け取られ、日々の稽古や武道に対する取り組みの糧になったかと思います。どのような「武」を受け取ったのか、人それぞれ違いがあり、個性があってよいと思います。
それでは私が受け取った鉄舟の「武」を述べさせて頂きます。
鉄舟は、明治維新で廃藩置県や廃刀令によって武士の世の中が終焉しても剣を置かず、ひたすら厳しい修行を続けました。この難行苦行を楽しむほど剣術を愛して止まない境地が、山岡鉄舟の「武」の神髄ではと考えました。
論語に次の教えがあります。
子曰く、
これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。
※「楽しむ」とは享楽的なエンジョイでなく「道」を学ぶ喜びと楽しみです。
また、鉄舟は「武」を極めるために徹底した禅修行もしました。
星定和尚に教えを乞うため週一ペースで片道120キロの龍沢寺に参禅し続け、
洪川和尚に境地を語って「よくしゃべる無心じゃわい」とキセルで頭を叩かれ、
滴水和尚からバカモノと叱られて「殴る蹴る」の指導を受け…
明治天皇の教育係として侍従するまでになった、四十歳近い自分をボコボコになるまで厳しく指導してくれる師に感謝し、喜々として修行に邁進します。鉄舟は、剣術を誰よりも愛し、修行を誰よりも楽しんでいたのです。
この鉄舟の剣術修行に向かう姿勢を知るにつけ、みなさん、同じような武の巨峰を思い浮かべませんか?
そう、空手バカ一代の大山倍達総裁です。
若き日の山籠もりに命がけの武者修行と、壮絶な空手の修行があるのですが、その奥には難行苦行そのものまで楽しむ程、自らをバカと称するほど空手を愛して止まない境地があったのは言うまでもありません。
真夜中、鉄舟が、いきなり起きて横で寝ている妻を起して木刀を構えさせるところなど、
深夜いきなりガバッと起きて「正拳」の握り方を試す大山総裁の姿に重なってしまいます。
仏教で「三昧の境地」というのがあります。
「楽しくて無我夢中となり我を忘れて集中している境地」です。
鉄舟も総裁も「三昧の境地」で武道修行に取り組んだのではと私は思うのです。
もっと、わかりやすく卑近な例でいえば「釣りキチ」です。
釣りキチにとっては、徹夜仕事明けの早朝出発、暑さ寒さ、悪天候の中での釣りも楽しくて仕方ありません。周りから見たら、何でそこまで難行苦行して、魚釣りするのか理解不能です。身近に、このような釣りキチはいませんか?
『これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。』
これこそ武道のみならず、あらゆるお稽古ごと、ものごとを習得し極める上で最も大切な姿勢であり、角度を変えて言えば、勉強でも仕事でも、嫌なことも辛いことも、心の持ち方ひとつで天国にも地獄にもなるということです。
私自身、このコラムで様々な「武」を論じてますが、その根本には「武道が大好き、空手道が大好き」があり、これは恋愛と同じく理論理屈じゃありません。辛かろうが苦しかろうが好きことは好きで、楽しいことは楽しいのです。
私は、辛い稽古や、如何に相手を倒すのかを考え技を創意工夫することが何より楽しく、また空手道の修行を通じて自分を高めていくことに喜びを感じています。高見空手の先生方も、皆、空手道が大好きで刻苦精進していらっしゃいます。
今治道場の南條師範が5月22日のFacebookで
「第一回 高見空手 愛媛県空手道選手権大会」に触れ、
「勝つのが目標、負けても しがみついても前に倒れる、
意味のある明日に繋がる組手を目指たい。
わたくしの大好きだった空手道の始まりです。」
と、述べられていらっしゃいました。
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※南條師範の氷柱割り写真
※今治道場Facebook
http://jump.cx/ehj0G
この南條師範の「わたくしの大好きだった空手道」の言葉に込められた「想い」と「境地」こそ武道の修得にとって大切と思います。
理論・理屈じゃない、
何より剣術が大好きで命がけの難行苦行すら楽しくて仕方ない程の境地を以て、
山岡鉄舟の「武」と受け取りましたが、皆さまは如何でしょうか?
---おまけコラム---
六十回余り戦って全てに勝利した宮本武蔵と違い、一度も実戦で敵を斬ったことのない山岡鉄舟は本当に強かったのか?
東海道の大親分、清水の次郎長との間に、こんな撃剣問答があります。
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「先生、撃剣なんて役に立たないですね。この野郎!って、アタシが睨んだら、たいていのお侍は逃げ出してしまいます」
「そうであろう。では、この刀で斬り掛かってきなさい。私は料理で使う‘すり棒’で相手しよう。僅かな傷でもお前の勝ちだ!」
幾度となく喧嘩をしてきた百戦錬磨の次郎長も、こここまで云われてはと負けん気がもたげ、丸腰で座っている鉄舟に本気で斬りかかろうしますが、何故か足がすくみ心が萎えて体が動きません。
蛇に睨まれたカエル状態です。
「こいつはいけねぇ。こう竦んでしまうのはどういうわけなんでしょ?」
「それは、お前が、この野郎って相手を竦ませるのと同じだよ。目から光が出るんだ!」
「アタシも撃剣を修行したら、その光とやらは、もっと出るようになりますか?」
「ああ、なるとも!目からピカーッと光が出なければ、偉くなれねえよ」
こう言うと、鉄舟は嬉しそうに
「眼光輝を放たざれば大丈夫にあらず」 と書いて次郎長に渡しました。
また、三島の龍沢寺への参禅の道中、箱根の山道で人足たちに金品を要求された時、
「わしに追いついたら望み通り何でも進上しよう」と言って、戦わずに疾風の如く走り去ったそうです。
山岡鉄舟は、無敵の強さを求めて誰よりも激しい修行をする一方、相手を傷つけてしまう戦いを避け、また、圧倒的に強すぎて(目から光ピカ〜で)、誰も戦おうとはしなかったと云うのが事実のようです。
最強無敵の強さと、決して人を傷つけない優しさを併せ持つ武人が鉄舟なのです。
他にも鉄舟は、フードファイター?よろしく日本酒7升、饅頭108個、ゆで卵97個という大食い記録を残してます。しかも、ゆで卵は、100個越えしようとして気持ち悪くなり吐いてしまったとか、笑!
また、鉄舟がいなかったら「あんぱん」も「味付け海苔」も存在しなかったかもしれません。
鉄舟は、かならずしも厳格な武道家ではなく、面白くて大変魅力的な人物だったようです。
いや、もう凄いというか何というか、
私たちの想像を絶する規格外の「武の巨匠」でした!!!
========「剣禅話」覚え書き(上級編です)========
「剣禅話」の第2部「修養論」(武士道/ 修心要領/ 心胆錬磨之事)より、自分の修行のための覚え書きも兼ねて抜粋し、簡単な所感を加えてみました。原文なので難しいかもしれませんが興味のある方はどうぞ!
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『わが邦人に、一種微妙の通念あり。神道にあらず、儒道にあらず、仏道にもあらず、神。儒。仏。三道融和の通念にして、中古以降専ら武門に於て、其著しきを見る。鉄太郎之を名付て武士道と云ふ。然れども未だ曾て文書に認め、經に綴って伝ふるものあるを見ず。』
山岡鉄舟による「武士道」の定義です。明治維新前の江戸時代までは、ことさら「武士道」という言葉は存在せず、ごく普通の武士の考え方でした。
それを山岡鉄舟が初めて「武士道」という言葉を使い、数十年後、この影響を受けた新渡戸稲造や内村鑑三が、西洋文化に対する日本文化として「武士道」を取り上げたのが始まりです。
私は、新渡戸稲造の「武士道」が大好きで繰り返し読んでましたが、山岡鉄舟を紹介して下さった先輩に
「新渡戸稲造は、キリスト教信者で優れた教育者であり学者なんだけど武道家ではないんだよね」と、教えてもらいました。
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『善悪の理屈を知りたるのみにては武士道にあらず、善なりと知りたる上は、直に実行にあらわしくるをもって、武士道と申すなり。そしてまた武士道は、本来心を元として、形に発動するものなれば、形は時に従い、事に応じて変化変転極まりなきものなり。』
武士道は、理論/理屈の知識で終わらず、良心に従い「善」を実行することと述べてます。これは陽明学の「知行合一」からきていると思いました。
また、「敵の攻撃」から「日常生活での様々な課題や困難」に至るまで、あらゆる状況に対して臨機応変・自由自在に対処できるのが武士道とも説いてます。
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『世人剣法を修むるの要は、恐らくは敵を切らんが為めの思ひなるべし。余の剣法を修むるや然らず。余は、此法の呼吸に於て神妙の理に悟入せんと欲するにあり。』
『余の剣法を学ぶは、ひとえに心胆錬磨の術を積み、心を明らめてもって、己また天地と同根一体の理はたして釈然たるの境に到達せんとするにあるのみ。…』
これは相手を倒す単なる「武術」から、人として高きに至る「武道」へと昇華した考え方で、現代の「武道」の在り方の雛形となっています。
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『余人或は余を見る事、猛虎の如しと。然れども余、未だ嘗つて殺生を試みたる事なきのみならず、一点他人に加害したる事も亦あらざるなり。否、猶修身斯道(士道)に違はざるを誓ふ。是れ、余が剣法修行の自覚となす。』
山岡鉄舟は、激動の時代を生き抜きながら、生涯、一度たりとも人を斬ったり傷付けたりしませんでした。
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『いかなる万変に合うも、いささかたりとも動かず、その難を堪え忍び、綽々として、その境遇に座を占め込んで、その大事を処理するというに至っては、その苦心惨憺の状は、とても死ぬくらいな手軽ではできざるはずなり。しかるを、その苦しさに死してその難を免るるなどは、まずまず錬胆の実薄く、忠孝仁義の誠に乏しき、畢竟愚鈍の沙汰なりと心得べし』
辛く厳しい状況に陥った時、微動だにせず問題解決に取り組むのが武士道であり、辛さ苦しさから死んで逃げるのは、日頃の鍛錬がなっておらず、忠孝仁義の誠が乏しく愚かな行為である。
死ぬより辛く厳しい「生きて問題解決する道」を選ぶのが武士道であると「喝!」を入れます。
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『無刀とは何ぞや。心の外に刀なきなり。敵と相対する時、刀に依らずして心を打つ。是を無刀という』
⇒『 心を以て心を打つ 』
鉄舟が晩年に興した無刀流の極意です。これは西郷隆盛と折衝して江戸を戦禍から守り江戸城無血開城させた山岡鉄舟の「武」ではないでしょうか。
また、富士山を見て大悟した境地の歌
『 晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は かはらざりけり 』
とともに有名な歌
『 死んだとて 損得もなし 馬鹿野郎 』
があります。
もしかして、この歌は前述の「いかなる万変に合うも…」とともに、明治政府のため不満分子とともに消えて行くことを決心した西郷隆盛への悲しみの吐露では、と、推測したのですが、ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。
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山岡鉄舟は、学者や哲学家、もの書きでなく、人を集めて講演したことも、門下生を一堂に集めて訓示を述べたこともありません。残っているのは、鉄舟が書き残した短い文章と、門下生はじめ様々な人々が口伝し、また書き残した資料のみです。この剣禅話の僅かな資料だけでも、鉄舟の「武」の凄さが伺えます。
- 2014-06-21 Sat | URL | 正拳コラム | Edit | ▲PAGE TOP
山岡鉄舟が教示する武士道/武道感 vol.2
※旧タイトル:「あんぱん」と「味付け海苔」vol.2
明治維新以降の山岡鉄舟の活躍を表す言葉の一つに「苦心」があります。
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徳川家が静岡藩に国替えとなり、多くの幕臣は職を失います。静岡藩権大参事となった鉄舟は、赤貧を洗うがごとき生活に陥った旧幕臣たちに寄り添い、親身のなって彼らの嘆きや苦しみを聞いて回り、また救うべく「苦心」するのです。
中條金之助はじめ精鋭隊の仲間による静岡の牧之原台地のお茶事業もその一つです。その後も廃藩置県、廃刀令で失業して収入を失った武士たちの救済と、鉄舟の「苦心」は続いていきます。
また「書」の達人でもあった鉄舟は、生涯100万枚を超える「書」を書いたと云われます。ここにも失業武士の救済の側面がありました。貧乏な鉄舟は、お金の代わりに「書」を書いて渡し、武士たちは、これを売って飢えを凌いだのです。
末端の現場で苦心する山岡鉄舟に、いぶし銀の輝きを放つ真の武士道を感じてしまうのは私だけでしょうか。
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明治5年、37歳となった鉄舟は、西郷どんたっての依頼で若き明治天皇の教育係として10年間、侍従することになりました。そして20代の明治天皇は、山岡鉄舟が修行を通じて「剣禅一如」を極めていく姿を身近に目撃していくこととなります。
後に日清、日露戦争を乗り越えていく名君・明治天皇が若き日、円熟期を迎えて武道を極め大悟していく鉄舟の姿に感化されるのは想像に難くないことです。
鉄舟は、宮中での仕事が終わると帰って剣術稽古。食後は座禅を組み、深夜2時前に寝ることはありません。廃藩置県、廃刀令によって、木戸孝允はじめ多くのサムライたちが剣を置き、剣術の鍛錬を止めていく中、鉄舟は「鬼鉄」の激しさそのまま剣術修行を怠りませんでした。
また1と6のつく休日は、欠かさず静岡の三島にある龍沢寺の星定和尚に参禅しました。
その距離、フルマラソン3倍の120キロ!
途中に天下の鹼「箱根」もあり、実質、松山から高松くらいの距離でしょうか。武道を極めるため週一回ペースで片道120キロを通い続けるのですから、マラソン選手も驚く健脚です。
そして数年後、ついに鉄舟は龍沢寺からの帰路で富士山を見た瞬間、大悟するのです。
『 晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は かはらざりけり 』
その後も鉄舟は、天龍寺の滴水和尚、円覚寺の洪川和尚によって悟りに磨きをかけます。
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こうして明治十三年三月三十日、滴水和尚から印可を受け「剣禅一如」を極めた鉄舟は、「今度こそ」と、いまだ勝つことのできなかった浅利又七郎に試合を申し込みます。
浅利又七郎は、鉄舟と向かい合った刹那、
「おいっ、鉄! ちょ、ちょっと待て。タイムだ、タイム」
と、いきなり試合を止めます。
そして鉄舟を見つめ
「お前、何か悟ったな…。よくぞ、ここまで極めた」と感涙。鉄舟は一刀流13代の正統を継ぐことになりました。
この時、鉄舟45歳、時すでに明治13年となっていました。
鉄舟は、28歳から17年間の修行を経て、ついに浅利又七郎という壁を乗り越えたのでした。
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また、天皇に侍従していた間も鉄舟の失業武士救済の「苦心」は続きました。
同門の木村安兵衛が二度にわたるお店の火事を乗り越えて開発した「あんぱん」のヘソに「八重桜の花びらの塩漬け」を乗せるアイデアを考えて明治天皇にあんぱんを献上。あんぱんブームを起こして失業武士たちに「パン屋」を手ほどきしました。余談ですが、木村屋のアンパン宣伝の市中音楽隊に「ちんどん屋」と命名したのも鉄舟です。
http://www.kimuraya-sohonten.co.jp/
他にも剣術仲間で山本海苔店の2代目・山本徳治郎と一緒に「味付け海苔」を考案し、同じく天皇に献納します。
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最後、山岡鉄舟は、胃がんで53歳でなくなるのですが、終焉は壮絶というべきか、恐ろしい程に見事でした。
当時は痛み止めもなく激痛であるにも関わらず、鉄舟は穏やかで安らかで、そして毅然として…
自ら死期を悟ると、真っ白の着物に着替えて袈裟をかけ
皇居に向かって結跏趺坐(けっかふざ:坐禅)して南無阿弥陀仏を称えつつ、
妻子、親類、友人や門弟たちに笑顔を見せながら穏やかに逝ったのです。
以下、勝海舟の話です。
「山岡死亡の際は、おれもちょっと見に行った。明治二十一年七月十九日のこととて、非常に暑かった。
おれが山岡の玄関まで行くと、息子が見えたから「おやじはどうか」というと、
「いま死ぬるというております」と答えるから、おれがすぐ入ると、大勢人も集まっている。
その真ん中に鉄舟が例の坐禅をなして、真っ白の着物に袈裟をかけて、神色自若と坐している。
おれは座敷に立ちながら、「どうです。先生、ご臨終ですか」と問うや、
鉄舟少しく目を開いて、にっこりとして、
「さてさて、先生よくお出でくださった。ただいまが涅槃の境に進むところでござる」と、
なんの苦もなく答えた。それでおれも言葉を返して、
「よろしくご成仏あられよ」とて、その場を去った。
少しく所用あってのち帰宅すると、家内の話に
「山岡さんが死になさったとのご報知でござる」と言うので、
「はあ、そうか」と別に驚くこともないから聞き流しておいた。
その後、聞くところによると、おれが山岡に別れを告げて出ると死んだのだそうだ。そして鉄舟は死ぬ日よりはるか前に自分の死期を予期して、間違わなかったそうだ。
なお、また臨終には、白扇を手にして、南無阿弥陀仏を称えつつ、妻子、親類、満場に笑顔を見せて、妙然として現世の最後を遂げられたそうだ。絶命してなお、正座をなし、びくとも動かなかったそうだ。
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明治天皇は、鉄舟に惜別の言葉を下賜しました。
『 山岡は、よく生きた 』
時は流れて明治中期。
東京の子供たちの間で、こんな蹴鞠歌が流行りました。
『 下駄はビッコで 着物はボロで 心錦の山岡鉄舟 』
思わず私は、目が潤んでしまいました。
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まだまだ山岡鉄舟のエピソードを上げたらキリがありません。
正拳コラムでは、鉄舟エピソードの一端をご紹介しただけですが、
興味を持たれた方には私が先輩から勧められた本を紹介します。
<オススメ著書>
「命もいらず名もいらず」上・下 山本兼一著
「剣禅話」山岡鉄舟
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※阿部正人「鉄舟随感録」は、鉄舟を利用して著者が自分の武士道論を展開してると批判があります。
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道場生はじめ皆様には、まずは小説「命もいらず名もいらず」をお勧めします。
小説とはいえ、構成は淡々とエピソード(事実)を羅列したり組み合せた内容で非常に読みやすくなっております。江戸末期~明治という時代背景からくる文化や価値観の違いもあり、遊郭通いの部分など、おいおいと思いますが(苦笑)、武道を修める私たちには大変勉強になります。
また、読み終わりましたら、ぜひ稽古の後など気軽に私(高見彰)に感想やご意見などお聞かせください。私自身の感想は、次回コラムで述べさせていただきます。
- 2014-06-01 Sun | URL | 正拳コラム | Edit | ▲PAGE TOP
山岡鉄舟が教示する武士道/武道感 vol.1
※旧タイトル:「あんぱん」と「味付け海苔」vol.1
前々回コラムで北条時宗に「莫妄想」を伝授した無学祖元(むがくそげん)が、兵士に刀で殺されそうになった時に詠んだ歌があります。
「臨刃偈 ( りんじんげ )」
乾坤(けんこん)孤筇(こきょう)を卓(た)つるも地なし
喜び得たり、人空(ひとくう)にして、法もまた空なることを
珍重す、大元三尺の剣 電光、影裏に春風を斬らん
※意味
稲妻が春風を斬れないように、お前は私の体を斬っても魂まで斬ることは出来ないよ。
死を恐れず平然と歌を詠む無学祖元に、兵士は退散します。
今回の正拳コラムは、この歌に倣い「春風館道場」を開いた幕末~明治の「剣」「禅」「書」の達人、山岡鉄舟の「武」をご紹介します。
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実は、この正拳コラムで先人たちの「武」をご紹介していることを知った先輩より、武道を志す方々にとって山岡鉄舟の「武」が大変勉強になるから取り上げてはどうかとアドバイスを頂きました。
それで調べたのですが、当コラムでも紹介した江戸時代の初めに柳生但馬守と沢庵禅師が提唱した「剣禅一如」の集大成として、江戸時代最後に出てきたラストサムライというべきか、いや、それ以上の本当に規格外の大人物、巨匠でした。
鉄舟は、明治維新の志士たちの名声の陰に隠れて地味ですが、調べる程に今も多くの鉄舟ファンがいることに頷けました。そして恥ずかしながら私自身、如何にテレビ化、映画化された人気のある有名人物ばかりに興味が向いてたことを気付かされました。
先輩の云われる通り山岡鉄舟を知ることで、日々の稽古への向かい方から武道に対する考え方、取り組み方、しいては現代社会における武道の在り方など、大変、勉強になりました。
今回は、ちょっと時間を掛けた3部構成の長編にして、1~2部で山岡鉄舟のエピソードを紹介し、3部目に私が山岡鉄舟の「武」から学んだことを述べさせて頂きます。
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山岡鉄舟といえば、ご存知の通り江戸城無血開城のエピソードが有名です。
徳川慶喜の命を受け、江戸に向かってくる官軍の真っただ中を
「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る!」と、
真正面から突っ切り、西郷隆盛に直談判して戦を回避します。
そして江戸城無血開城により江戸を戦禍から救うも、その功を勝海舟に譲り、
西郷どんをして
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。
此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」
と言わしめた、リアル‘矛を止めた’「武」の巨人です。
前置きが長くなりましたが、山岡鉄舟は、どうやって「武」を極めたのでしょうか?
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剣豪、塚原卜伝を先祖に持つ鉄舟は、9歳から剣術を志して新陰流を学び、千葉周作から北辰一刀流を、山岡静山から忍心流槍術も学びます。
この鉄舟を象徴する若き日の‘あだ名’が二つあります/
それは「ボロ鉄」と「鬼鉄」。
「ボロ鉄」とは、貧乏でいつもボロボロの服を着ていたために付いたあだ名です。
月に7日は食事にありつけず、家の中は擦り切れた畳二枚の寝床兼居間と、畳一枚の書斎の合計三畳。妻には布団代わりに自分の服を与えて、本人は褌一丁で夜を過ごし
「まぁ、寒稽古に比べたらたいしたことない」
「人間、食べなくてもなかなか死なぬものだな」と、言い出す始末。
後に徳川慶喜の命を受けて西郷隆盛に会いに行くことが決まった時も、生活のために刀を売り払った後で、大慌てで親友の関口艮輔に大小を借りたほどの貧乏です。
「刀は武士の魂!」と、うそぶくサムライが鉄舟を見たら、唖然とするかも知れません。
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もうひとつの「鬼鉄」とは、激しい稽古で恐れられた‘あだ名’です。
内憂外患に対処するため幕府が設置した武芸訓練機関「講武所」に強者たちが集結する中、
狂気とまで揶揄された鬼気迫る稽古をする鉄舟は、まわりから「鬼鉄」と恐れられました。
ところが自他ともに最強と言わしめた鉄舟が28歳の時、転機が訪れます。
夜遊び後、ほろ酔い気分で道を歩いていた鉄舟は、突然、肩のぶつかった相手に襲われ、不覚にも首に刀を突きつけられるのです。
「おい、お前、鬼鉄だな! こんな老いぼれ武士に不覚をとるなんて、
噂と違って大したことないな。今回だけは勘弁してやるわい、笑!」
後に、この武士が、中西派一刀流の剣豪・浅利又七郎だとわかり、
改めて試合を申し込むのですが、何度やっても勝てません。
毎回、浅利の剣気に押されてジリジリと後ずさりして羽目板まで追い詰められ、さらに道場の外まで押し出されて、扉をパシッと閉められて終わりです。
寝ても覚めても目の前に立ちはだかる浅利又七郎という壁。
苦しむ鉄舟は高橋泥舟から、これは剣術の技量ではなく「心」に差があるのでは?とのアドバイスを受け、以前から取り組んでいた「禅」にますます傾倒していき、禅修行で深夜二時前に寝ることは無かったといいます。
その後、鉄舟は、西郷隆盛との交渉で官軍と幕府の戦を回避して江戸城無血開城を成功させたり、
上野彰義隊の説得や徳川家の静岡への国替え、失業武士対策に苦心するのですが、その間も弛むことなく剣術修行を継続するのです。
- 2014-05-04 Sun | URL | 正拳コラム | Edit | ▲PAGE TOP
日本の歴史と伝統に誇りを持とう!
今回は、お口直しで少々「武」を離れた`正拳コラム'です。
3月24日、急な用件で東京に出張しました。翌日、松山に戻る飛行機まで時間があったので、郷田道場時代にお世話になった先輩に連絡を取ってお昼休みをご一緒して数年ぶりに旧交を温めることが出来ました。そして、先輩から考古学の先生(考古調査士)を紹介して頂き、お話する機会を得ました。
そこで考古学の先生から教えて頂いたのが、
歴史の教科書で、四大文明の発祥とか、
中国四千年(前は三千年)の歴史と云うけど、
古代日本の縄文時代・弥生時代の方が16,400年前からと圧倒的に古く、
・火焔土器(かえんどき)
・ヒスイ製の勾玉(まがたま)
・土偶(どぐう)
などの出土品から、かなり高度な文明が存在していたことが明らかで、
これらの出土品は日本のみで、朝鮮半島や中国には見当たらないそうです。
そして以前、ルーブル美術館や大英博物館で「火焔土器」を展示したら大盛況、
火焔土器の芸術性にヨーロッパの考古学者たちは「信じられない」と、仰け反っていたそうです。
これには私も驚きました!
日本には、中国4000年の4倍以上の古い16,400年の歴史があり、
なんと当時の日本の女の子たちは、ヒスイ製の勾玉ネックレスでオシャレしていたと…?!
また先生方は「日本の凄さや素晴らしさを一番理解していないのが日本人」と、苦笑いしてました。
お釈迦様の2,600年前、イエス・キリストが生まれた2,000年前がつい最近と思える程の、遥か彼方の16,400年前から始まる古代日本の縄文・弥生の文化!
「ヒスイ製の勾玉」や「土偶」、「火焔土器」は、世界中が驚き羨望しているのだそうです。
少々、話が飛びますが、私がアメリカに留学していた時、西洋文化がベースのグローバルスタンダードな世界で、日本が勝っていくのは大変厳しいと感じていました。ところが日本の歴史や伝統文化など「和風」を前面に出すと、皆、感動して喜んでくれるのです。当然、「空手道」も然りです。
先生方の古代日本のお話に、何故か私がアメリカ留学中に感じたことがオーバーラップし、私たち日本人は、もっともっと日本の歴史や伝統・文化に誇りと自信を持って、世界の方々と接していかなければいけないと実感しました。
今後、東京オリンピック開催に向かって来日する外国人が増えたり、また道場生も海外に行く機会があるなど、ますますグローバル化が進んでいきます。
このような中、私たち日本武道「空手道」の修行している高見空手一門は、本物のリアル日本武道、クールジャパンの担い手として、自信と誇りを以て海外の方々に接して行動しようではありませんか!
「 日本16,400年の歴史。クールジャパン高見空手 押忍! 」
高見 彰
- 2014-04-11 Fri | URL | 正拳コラム | Edit | ▲PAGE TOP
武道を教える/武道を学ぶ
武道の習得、武道教育とは何か。
これを考える上で大変参考になる書籍があります。
それはオイゲン・ヘリゲル著「弓と禅」です。
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この本を簡単に紹介すると、大正時代に東北帝国大学の要請で哲学の教鞭をとるために来日した、ドイツの哲学者ヘリゲルの弓道修行奮闘記です。
ヘリゲルは、せっかく来日したのだから日本文化の神髄に触れようと、妻に生け花を習わせ、自身は弓道をマスターしようと知人の紹介で、大射道教の阿波研造に入門しました。
阿波研造は「弓聖」と称えられた武人で、殆ど目を閉じた状態の「心眼」で的を射ぬく達人です。
また禅にも精通し、自身が到達した境地を「一射絶命」と述べています。
この達人の元に、理論的な思考が発達しているドイツ人で、更にカント哲学の学者が入門したから、もう大変です。
阿波研造の
「的を狙うな」
「弓は腕力でなく心で引け」
「矢を自らの意志で放すな。‘それ’が放すまで待て」
との指導に
ヘリゲルは、
「的を狙わずに、どうやって的を射るのだ???」
「腕の力を使わずにどうやって弓が引けるか???」
「‘それ’って誰??? 矢は自分の意志で放つものでは?」
と、大混乱します。
これが日本人なら理解できないまま、わからんがそういうものなのかと、
矛盾を抱えたまま修行を続けてしまいがちですが…
相手は青い目をした異国の理論思考バリバリの哲学者です。
何とかヘリゲルに弓の神髄を伝授しようと苦悩する阿波研造。
理論からしか理解できず「以心伝心」「不立文字」のわからないヘリゲル。
修行が行き詰まって限界に達し、弓道をマスターすることを諦めたヘリゲルに
阿波研造は、最後、真夜中の道場に来るよう伝えます。
漆黒の闇の中、阿波研造は第一の矢弓を放ち、バシッと音がします。見事に的を射ぬきました。
第二の矢を放つと…、なんと後ろから第一の矢を真っ二つに引き裂いて的の中心を射ぬいたのです。
目前で阿波研造の神業を見たヘリゲルは、弓道の稽古を続けることを決意して修行に邁進し、帰国までに五段を取得します。
こうしてヘルゲルは、理論では説明できない武道の奥深さに感銘を受け、自分が長年学んできたカント哲学を棄ててしまったそうです。帰国後、ヘルゲルは、ナチスの戦争に巻き込まれて不遇な晩年を過ごすのですが、その彼を支えたのは哲学でなく武士の教科書「葉隠」でした。
また、ヘリゲルが自身の弓道修行を記した体験記「弓と禅」は、ヨーロッパで大ベストセラーとなって日本にも逆上陸。今でも販売しており、アマゾンでも購入可能です。
少々、前置きが長くなりましたが…、
武道を習得するということは、このように言葉や理論理屈で説明できない「不立文字」の部分の修得が出てきます。
最初は、子供たちの「空手教室」や、初心者の「カルチャースクール」的な段階もありますが、修行・鍛錬・年季が進み、奥深く進むに従って「不立文字」的な要素、「以心伝心」でしか教えられないことが多くなってきます。
これは、「道」のつくものの修行の全てに言えることではないでしょうか。
武道を始めとして「道」のつく稽古ごとは、
試合などの経験を積まないと体得できないこと、
年季や修行が進んだ分だけしか体得できないこと、
苦労しないと価値が分からず受け取れないこと、
徒弟制度の人間関係でしか伝えることが難しいこと、
など、様々あるかと思います。
ここに私は「武道教育」の難しさと素晴らしさ感じております。
是非、みなさまもオイゲン・ヘリゲル著「弓と禅」を読まれて、
「武道を学ぶとは如何なることか」
「武道を教えることは如何なることか」
一度じっくり考えて頂けたらと思います。
「一撃絶命」 押忍!
高見 彰
━━━━━━━━━━━━━ おまけコラム ━━━━━━━━━━━━━
正拳コラムでは、このような「書籍レビュー」もいいですね!
私は、アメリカの大山泰彦師範の元に空手留学している時、
「彰!お前、修行として本をいっぱい読め!人生、限られた時間での経験・体験は限度はあるが、読書で様々な‘模擬体験’ができるぞ。これから読書を習慣にして、様々な分野の本を多読・乱読するように!」
と、ご指導を受けました。
そして泰彦師範に日報とともに、「毎日、読んだ分だけの読書感想文」を提出することとなり、コメントを頂きました。
時に褒められ、時に2階の師範室に呼び出されて、直立不動もしくは正座で長時間のお説教を受たこともございます。当時は大変な修行時代でしたが、今にして思えば大変ありがたく、かけがいのない貴重な体験でした。
有り難うございました、押忍!
このアメリカ留学以来、私は読書を心掛け、最近はiPhoneを使って電子書籍も読んでおります。
それで、このオイゲン・ヘリゲル著「弓と禅」を紹介して下さった東京の先輩に、今回の正拳コラムの文章校正のお願いがてら、感想を聞いたところ、
「優秀な先生は技術を教える。達人は‘生き様’を背中で語る!」
と、切り返されました。
むむむむむっ…!
禅問答か、当意即妙の応酬話法か、如何にして先輩に切り返してやろうと思ったら
先輩の方から「えらい先生から聞いた受け売りだけどねw」と、自爆していました(笑)
そして私は、「‘生き様’を背中で語る!」の言葉に、
大山倍達総裁をはじめとする先生・先輩諸兄、
高見空手の総師であり父でもある高見成昭、
高見空手の先生方の姿が想い浮かびました。
高見空手も私も、この先達の「生き様」の上に成り立っております。
「‘生き様’で感化する」
この無言の「不立文字」「教外別伝」こそ、私が目指すべき「武道教育」と思いました。
まだまだ修行中の身ですが、いつの日か私も‘生き様’で門下生を感化する達人の域に達すべく、これからも空手道に邁進したいと改めて決意した次第です。
押忍!
- 2014-03-12 Wed | URL | 正拳コラム | Edit | ▲PAGE TOP
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