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武道を教える/武道を学ぶ

武道の習得、武道教育とは何か。

 これを考える上で大変参考になる書籍があります。
それはオイゲン・ヘリゲル著「弓と禅」です。

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 この本を簡単に紹介すると、大正時代に東北帝国大学の要請で哲学の教鞭をとるために来日した、ドイツの哲学者ヘリゲルの弓道修行奮闘記です。

 ヘリゲルは、せっかく来日したのだから日本文化の神髄に触れようと、妻に生け花を習わせ、自身は弓道をマスターしようと知人の紹介で、大射道教の阿波研造に入門しました。

 阿波研造は「弓聖」と称えられた武人で、殆ど目を閉じた状態の「心眼」で的を射ぬく達人です。
また禅にも精通し、自身が到達した境地を「一射絶命」と述べています。

 この達人の元に、理論的な思考が発達しているドイツ人で、更にカント哲学の学者が入門したから、もう大変です。

阿波研造の
「的を狙うな」
「弓は腕力でなく心で引け」
「矢を自らの意志で放すな。‘それ’が放すまで待て」
との指導に

ヘリゲルは、
「的を狙わずに、どうやって的を射るのだ???」
「腕の力を使わずにどうやって弓が引けるか???」
「‘それ’って誰??? 矢は自分の意志で放つものでは?」
と、大混乱します。

これが日本人なら理解できないまま、わからんがそういうものなのかと、
矛盾を抱えたまま修行を続けてしまいがちですが…

相手は青い目をした異国の理論思考バリバリの哲学者です。

何とかヘリゲルに弓の神髄を伝授しようと苦悩する阿波研造。
理論からしか理解できず「以心伝心」「不立文字」のわからないヘリゲル。

修行が行き詰まって限界に達し、弓道をマスターすることを諦めたヘリゲルに
阿波研造は、最後、真夜中の道場に来るよう伝えます。

漆黒の闇の中、阿波研造は第一の矢弓を放ち、バシッと音がします。見事に的を射ぬきました。
第二の矢を放つと…、なんと後ろから第一の矢を真っ二つに引き裂いて的の中心を射ぬいたのです。

目前で阿波研造の神業を見たヘリゲルは、弓道の稽古を続けることを決意して修行に邁進し、帰国までに五段を取得します。

こうしてヘルゲルは、理論では説明できない武道の奥深さに感銘を受け、自分が長年学んできたカント哲学を棄ててしまったそうです。帰国後、ヘルゲルは、ナチスの戦争に巻き込まれて不遇な晩年を過ごすのですが、その彼を支えたのは哲学でなく武士の教科書「葉隠」でした。

また、ヘリゲルが自身の弓道修行を記した体験記「弓と禅」は、ヨーロッパで大ベストセラーとなって日本にも逆上陸。今でも販売しており、アマゾンでも購入可能です。

少々、前置きが長くなりましたが…、

武道を習得するということは、このように言葉や理論理屈で説明できない「不立文字」の部分の修得が出てきます。

最初は、子供たちの「空手教室」や、初心者の「カルチャースクール」的な段階もありますが、修行・鍛錬・年季が進み、奥深く進むに従って「不立文字」的な要素、「以心伝心」でしか教えられないことが多くなってきます。

これは、「道」のつくものの修行の全てに言えることではないでしょうか。

武道を始めとして「道」のつく稽古ごとは、

試合などの経験を積まないと体得できないこと、
年季や修行が進んだ分だけしか体得できないこと、
苦労しないと価値が分からず受け取れないこと、
徒弟制度の人間関係でしか伝えることが難しいこと、

など、様々あるかと思います。

ここに私は「武道教育」の難しさと素晴らしさ感じております。

是非、みなさまもオイゲン・ヘリゲル著「弓と禅」を読まれて、

「武道を学ぶとは如何なることか」
「武道を教えることは如何なることか」

一度じっくり考えて頂けたらと思います。

「一撃絶命」 押忍!
高見 彰

━━━━━━━━━━━━━ おまけコラム ━━━━━━━━━━━━━

正拳コラムでは、このような「書籍レビュー」もいいですね!

私は、アメリカの大山泰彦師範の元に空手留学している時、

「彰!お前、修行として本をいっぱい読め!人生、限られた時間での経験・体験は限度はあるが、読書で様々な‘模擬体験’ができるぞ。これから読書を習慣にして、様々な分野の本を多読・乱読するように!」

と、ご指導を受けました。

そして泰彦師範に日報とともに、「毎日、読んだ分だけの読書感想文」を提出することとなり、コメントを頂きました。

時に褒められ、時に2階の師範室に呼び出されて、直立不動もしくは正座で長時間のお説教を受たこともございます。当時は大変な修行時代でしたが、今にして思えば大変ありがたく、かけがいのない貴重な体験でした。

有り難うございました、押忍!

このアメリカ留学以来、私は読書を心掛け、最近はiPhoneを使って電子書籍も読んでおります。

それで、このオイゲン・ヘリゲル著「弓と禅」を紹介して下さった東京の先輩に、今回の正拳コラムの文章校正のお願いがてら、感想を聞いたところ、

「優秀な先生は技術を教える。達人は‘生き様’を背中で語る!」

と、切り返されました。

むむむむむっ…!

禅問答か、当意即妙の応酬話法か、如何にして先輩に切り返してやろうと思ったら
先輩の方から「えらい先生から聞いた受け売りだけどねw」と、自爆していました(笑)

そして私は、「‘生き様’を背中で語る!」の言葉に、
大山倍達総裁をはじめとする先生・先輩諸兄、
高見空手の総師であり父でもある高見成昭、
高見空手の先生方の姿が想い浮かびました。

高見空手も私も、この先達の「生き様」の上に成り立っております。

「‘生き様’で感化する」

この無言の「不立文字」「教外別伝」こそ、私が目指すべき「武道教育」と思いました。

まだまだ修行中の身ですが、いつの日か私も‘生き様’で門下生を感化する達人の域に達すべく、これからも空手道に邁進したいと改めて決意した次第です。

押忍!

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