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道場訓外伝~聖徳太子の『十七条憲法』

 今回の正拳コラム「道場訓外伝」は、解説には書かなかった道場訓の補足や作成エピソードを書きたいと思います。

 お陰様で昨年12月23日(祝日)に高見空手 道場訓を公開しました。当初、24日や元旦の公開を検討しましたが、新・道場訓がクリスマスプレゼントやお年玉になってしまうので止めて、武道は日本古来の伝統なので天皇誕生日の公開とさせて頂きました。

NHK大河ドラマ『花燃ゆ』と『高見空手 道場訓』

 そして、偶然とでもいいましょうか! 道場訓を公開して二週間経たないうちにNHK大河ドラマ『花燃ゆ』が放送を開始しました。主人公の文や吉田松陰のセリフで孟子が脚光を浴び、その余徳で全国から多くの方々がここ高見空手ホームページを訪れて「孟子の四端説」ベースの高見空手 道場訓まで注目して頂きました。

新年早々、吉瑞です! 有り難うございます。

 本部道場では、稽古始めより新・道場訓を試験的に唱和していましたが、冬合宿で初めて公式に師範・先生方、門下生と百名を超える門下生で新・道場訓を唱和しました。その様子は「まる師範の合宿レポート」にある通りです。古典の書き下し文は小学生には難しいかもという心配は、子供たちの能力を見誤った私の杞憂でした。

 また偶然、教えて頂いたのですがドラマ『花燃ゆ』に出てくる長州藩校の明倫館は、現在、萩市立明倫小学校となり、毎日、子供たちは吉田松陰の教えを朗唱しているそうです。

▼明倫小学校
http://edu.city.hagi.lg.jp/meirin-e/
※左メニュー「朗唱について(朗唱文)」をクリック!

 これは素晴らしい道徳教育と思います。昔の小学校で行われた論語の素読のようです。明倫小学校の子供たちが朗唱する文書量には及びませんが、高見空手の小学生たちも稽古の終わりに元気な声で道場訓を唱和し、早くも「惻隠の心は仁の端なり…」と、覚えています。改めて子供たちの能力には驚かされました。
 
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聖徳太子の『十七条憲法和』と「礼譲親和」&「信義誠実」

 ところで道場訓の作成過程で「孟子の四端説」と「王陽明の事上練磨」をベースに大山倍達総裁の意志を受け継いだ内容にすることを決めましたが、次に文書フォームをどうするかという問題がありました。

 多くの団体・流派が「一、吾々は…こと」の箇条書きのため、私は他の箇条書きフォームがないか探して、「孫子」に次の一節を見つけました。

孫子 第一章 始計編
「一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法。道とは、民をして上と意を同じくし、之と与に死す可く、之と与に生く可く、畏危せざらしむるなり。」

 そこで「一に曰く、惻隠の心は仁の端なり …」という箇条書きフォームを考えて、古典に詳しい先生に意見を求めたところ、

「それなら語尾を‘宗とせよ’にして、聖徳太子の『十七条憲法』第一条に倣ったらいい。君のモットーは『和』だからピッタリだよ!」

と、アドバイスを頂きました。

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聖徳太子 『十七条憲法』第一条

一に曰く、
和を以って貴しとなし、忤(さから)うこと無きを宗とせよ。
人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。
ここをもって、あるいは君父に順わず、また隣里に違う。
しかれども、上和ぎ下睦びて、事を論うに諧うときは、
すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

(意味)
一にいう。
和を何よりも大切にして、いさかいを起こさないよう心掛けなさい。
人は徒党を組みたがるも人格者は少ない。
だから君主や父親に従わず、近隣の人たちともうまくいかない。
しかし、上の者も下の者も協調と親睦をもって論議すれば、
おのずから道理にかない、どんなことも成就するものだ。

 
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『一に曰く、和を以って貴しとなし、忤うこと無きを宗とせよ。』

 私は、この十七条憲法 第一条を読んだ瞬間、道場訓は、

「一に曰く、惻隠の心は仁の端なり 〇〇〇を宗とせよ」

のフォームしかないと直感しました。道場訓の上の句が孟子の言葉なので「一に曰く」「二に曰く」の箇条書きは「孟子曰く」の意味にもなり、本当にピッタリです。

 また、『和』について、改めて『十七条憲法』第一条より多くを教えられました。そこで文書フォームのみならず第三条に「三に曰く、辞譲の心は禮の端なり 礼譲親和を宗とせよ」と「親和」を入れて、『礼』とともに聖徳太子の『和』の精神を込めさせて頂いております。

 次に「禮(礼)の端なり」は、原文に倣いあえて旧字『』にしています。これは『』という漢字が「示:神を祀る祭壇、豊:供え物」によるものなので、十七条憲法の第二条に倣い、人に対する「礼」だけでなく、神仏に対する「礼と感謝」の意味も加味させて頂きました。

 他、『信義誠実』は、「信義にそむかず真心をもって誠実に行動する」という倫理上の規範ですが、道徳と法律の調和を図る法理にも用いられ、民法の第1条第2条に
「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない」
と定められました。これが『信義則(信義誠実の法則)』と言われる法原則です。

 そして実は、最初に信義則を法原則にしたのは聖徳太子で、『十七条憲法』第九条に
「九に曰わく、信はこれ義の本なり。事毎に信あれ。…」
と定めました。

 このように『和』の精神はじめ『十七条憲法』は、現代にも通じる内容で、改めて日本文化の礎を築いた聖徳太子の偉大さを感じました。

「羞悪(または廉恥)の心は義の端なり」の廉恥とは

孟子「羞悪之心義之端也」の書き下し文は、
「羞悪(または廉恥)の心は義の端なり」ですが、原文は「羞悪」のみで「廉恥」の文字は見当たりません。

「恥」について孟子は、四端説を述べている公孫丑章句上のところではなく、尽心章句上で次のように述べられてます。

『人は以て恥無かる可べからず。 恥無きを之れ恥ずれば、恥無し』

・現代語訳
「人は常に恥を存すべし。さすれば恥無し。」

『恥の人に於けるや大なり。人に若かざるを恥ざれば、何ぞ人に若くこと有らんや』

・現代語訳
「恥は人を人たらしめるに大なるものである。 巧みに偽りて是非を変ずる者は、恥ずべきことすらも恥じず。 足らざる自分を恥じざれば、どうして人たるを得るだろうか。」

 2つの孟子の「恥」の教えは、武士はじめ日本人における「恥の文化」に深く影響し、

西郷隆盛の信条
『節義廉恥(人としての正しい道を踏み行い恥を知ること)(出典;西郷南洲遺訓)

新渡戸稲造
『恥はすべての徳、善き道徳の土壌である。』(出典;武士道)

にもなりました。

 ただ、四端説における「廉恥」は日本独自の補足による解釈で、日本で「羞悪」という言葉が使われていなかったため、代わりに昔の武士たちが「(または廉恥)」と追記したとの説があるようです。

そこで高見空手 道場訓では

・四端説の「廉恥」は、日本の武士たち独自の解釈
・「廉恥」は、自分に向けられた言葉で修行・修身に相応しい
・西郷隆盛の「節義廉恥」と新渡戸稲造の「武士道」の教え

の3つの理由で「廉恥」を選び、
『廉恥の心は義の端なり 信義誠実を宗とせよ』
としました。

(高校や大学の漢文テストで四端説を「廉恥の心は義の端なり」と回答すると、先生によっては不正解にするかもしれないので注意してください)

 しかし、ルース・ベネディクト著『菊と刀』でも指摘されている日本の「恥の文化」にまで孟子の影響があったとは、本当に驚きました。たいへん勉強になりました。

東洋哲学と西洋哲学の違い

 高見空手 道場訓は、「孟子の四端説」「王陽明の事上練磨」など古典ベースに大山倍達総裁の意志を継いだものですが、そこには聖徳太子『和』の精神あり、更に山岡鉄舟の武士道、宮本武蔵の「鍛練」、西郷隆盛の「節義廉恥」まで含めると、聖人偉人てんこ盛り状態です。でも、手前味噌ながら私はこの道場訓を気に入っております。

ところで皆さまは、東洋哲学と西洋哲学の違いをご存知でしょうか。

 私が古典に詳しい先生から教えて頂いたことは、違いを一言で表せば「不立文字」「教外別伝」です。

「西洋哲学」は、書籍・論文などで難しい思想哲学が理論的に述べられています。

 ところが「東洋哲学」の四書五経やお経など古典の中身は、聖人偉人の会話などの言語録、エピソード集、例え話などがほとんどで、漢詩や和歌などポエムまであります。また、ひたすら座り続ける禅や儀礼など、行為そのものに思想哲学があったりします。

 この様に東洋哲学(聖人偉人の教え)の神髄は、行間を読んでその奥にある教えを悟り、また体験を通じて悟る「不立文字」「教外別伝」と、教えて頂きました。

 それゆえ東洋哲学は、人生経験や生活環境の違いなどによって、人それぞれ解釈する角度や深さ、悟る内容が違ってきます。ここに難解な理論・ロジックによって説明される西洋哲学とはまた違う、東洋哲学ならではの奥の深さと深遠さがあるのだそうです。

 当然、武道・武士道精神は「東洋哲学」であり、高見空手 道場訓は古典の教えがベースです。

 そこでいま検討しているのが、参段以上の昇段審査で『道場訓』の意味やご自身の解釈を述べて頂くことです。審査ではなく課題と言った方が適切でしょうか。

 古典ベースの道場訓を端諸にして、日本の武道精神に影響を及ぼした孟子や王陽明の教えや聖徳太子の「和」の精神など多岐に渡って言及でき、「拳魂歌心」や「礼譲親和」ひとつ取っても、道場生それぞれ様々な捉え方や悟り、オリジナリティーある解釈も成り立つと思います。

 検討中のため、後日、改めてご案内させて頂きますが、昇段審査での『道場訓』解釈を通じて、皆さまの武道精神がより深くより高くなって頂けたらと考え、また私自身も皆様から学ばせて頂けたらと思っています。

高見 彰 押忍!

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