師匠 郷田勇三最高顧問を偲んで
国際空手道連盟極真会館の郷田勇三最高顧問が、8月12日にご逝去されました。
ここに謹んで哀悼の意を表し、ご生前に賜りましたご指導に深く感謝申し上げますとともに、故人のご功績を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2026年8月12日
日本空手道 高見空手
高見 彰
1985年、私は高校を卒業して極真会館城東支部(現在の郷田道場)の郷田師範の内弟子となりました。当時の内弟子には、長山重男先輩、米アラバマ支部から空手留学にきたペリー・バネット・ライアン先輩がおりました。私は、2人の兄弟子と違い、日中はサラリーマンという二足わらじの内弟子となります。これは「空手のみに偏らず、広く世間一般的な社会人としての思考や価値観を身につけさせたい」という父の意向がありました。郷田師範は、これを承諾するのみならず、わざわざ日本橋の会社をご紹介してくださったのです。
そして、いよいよ上京。まずは、郷田師範と高見師範(父)に連れられて池袋の極真会館総本部を訪ねます。そして大山倍達館長へのご挨拶。そこで郷田師範は
「お前の田舎の免許は東京じゃ使えないよ(笑)」などと、私をいじり、そんな新たな師弟の様子を見て館長が、終始、笑みを浮かべておられたことが、今でも強く印象に残っています。こうして私の内弟子生活はスタートしました。
1か月後、はじめて会社からお給与をいただいた時、私は郷田師範を焼肉にお誘いしました。今思っても、右も左も師弟の上下関係も、自分の立ち位置も何も分からない高校を出たての若造だったと赤面してしまいます。私の黒歴史です。それでも師範は笑顔で、「稽古が終わってから行こう。」と言ってくださいました。
そして会計の際、郷田師範は私からレシートを取り上げ、
「俺は館長や先輩からしてもらったんだ。だから、お前も後輩にしてやれるように頑張れ!」とおっしゃり、師をもてなすつもりが、逆にごちそうになってしまいました。この言葉は、今でも私の心に深く残っています。
こうして始まった郷田師範と私の師弟の関係は、3年後の大山泰彦師範の元への空手留学、帰国後の修行と大会出場、松山に戻ってからの道場運営と続き、様々、ご指導いただきました。それは、単なる技術論のみならず人としての在り方、極真会館の重鎮として様々な難題/困難に対する取り組みや姿勢に生き様と、師の背中から多くを学ばさせていだだきました。
そして現在、私は極真会館から離れて高見空手を立ち上げ、かつての右も左もわからない若造から、人を指導する立場となりました。
「お前も後輩にしてやれるように頑張れ!」と、言われて40年あまり。師範、僕は師範から受け取ったものをどれだけ後進に伝えられているのでしょうか?まだまだ未熟で至らぬことばかりですが、これからも師範の教えを胸に、空手道に精進してまいります。
郷田師範、誠にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
押忍 合掌
※1985年の夏合宿での東京城東支部の集合写真です。兄弟子の長山先輩とペリー先輩、ともに田端道場で汗をながした高橋先輩、杉山先輩や星さん、東大生の坂田くんの姿もあります。当時、多くの支部が大会に勝つためのルールに即したコンビネーションなどの「練習」に力を入れる一方、郷田師範の率いる城東支部は、大会よりも武道としての空手道の「稽古」が中心でした。
- 2026-08-12 Wed | URL | ニュース | Edit | ▲PAGE TOP








