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莫煩悩(まくぼんのう)

 さすがに10日置きの「正拳コラム」ですと、私の勉強が追い付かずペース配分を考えようと思いますが、受験シーズンの今、このコラムだけは早目に読んで頂きたく投稿します。

 今回は、北条時宗の「武」のお話です。

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元寇で有名な北条時宗は、18歳で鎌倉幕府の第八代執権となりました。

 実は時宗、幼い頃より武芸が大の苦手で、今でいう「草食系」男子でした。

 お父さんの時頼は、「これで武士の棟梁になれるのだろうか?」と、軟弱な息子の行く末を憂い、友人の蘭渓道隆に頼んで禅で鍛えようとします。そして道隆が亡くなったあとは無学祖元(むがくそげん)に弟子入りしました。

時宗「僕みたいな軟弱な者が武士の棟梁になれるのでしょうか?」
祖元「では、その軟弱な自分を棄てなさい」

時宗「僕は武芸が苦手で…」
祖元「では、その苦手な自分を棄てなさい」

時宗「僕は学校でイジメられてばかりの弱虫で…」
祖元「では、その弱虫な自分を棄てなさい」

時宗「僕は勉強が苦手で成績も悪く…」
祖元「では、勉強が苦手な自分を棄てなさい」

 時宗の心に生じる様々な憂いや迷いを次々と捨てさせる無学祖元。こうして禅で心と魂を鍛えられ‘正念継続’の境地を修得した北条時宗は、鎌倉幕府の第八代執権となり、若干18歳で国難「元寇」に立ち向かうことになります。

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「降伏せよ!」

 膨大な軍事力を背景に降伏を迫る元の使者に、日本中が右往左往する中、北条時宗は、微塵の迷いもなく使者の首を刎ねて、これが返事だとばかり突き返します。再び使者が来て降伏を迫ると、またもや何の迷いもなく首を刎ねて突き返します。

この日本国の運命を一身に背負う若者に、無学祖元は書を送りました。

「 莫 煩 悩 」 (まくぼんのう)

これに時宗は、一言「喝!」と応じて、戦いへ向かうのです。

元寇の戦いは、熾烈を極めました。

 銅鑼を鳴らし、火薬を炸裂させて襲いかかる元軍。初めて戦う異国軍と戦法に、武勇の誉れ高い鎌倉武士団もビビッて恐れを抱くのですが…!?

振り返るに、微塵の恐れも迷いもなく構える北条時宗。この揺るぎない山のような姿に武士たちは覚悟を決めて奮い立ち、何とか水際作戦で元軍の上陸を食い止め続けます。

また、苦戦する武士たちを見た時宗は、
「これじゃ埒があかない。こうなったら元よりもでっかい船を作って敵の本拠地に攻め込むのだ。早速、船を作れ!」
家臣たちは唖然とするも、冗談でなく本気で命令する時宗に、大騒ぎで船の建造に取り掛かかりました。

 この北条時宗の不倒不屈の気合いと根性に感化され、幕府のみならず朝廷、神社・仏閣も商人も農民も一団結、All Japanで国難に立ち向かい、神風を呼び込むのです。

 余談ですが九州地方を始め歴史ある神社・仏閣の殆んどは「神風はうちの神様(仏様)が起こした」と記してます。これは国中の神社・仏閣が未曾有の国難から日本を守りたまえと必死の祈願をしたのでしょう。それだけ大変な時代であったとともに、本当に国中を挙げて一致団結していた証ではないでしょうか。

 ところで普段の北条時宗は、武骨で荒々しい武士の頂点に立つには似つかわしくない、信仰深く温厚な人物で、家では優しいお父さんだったそうです。以前、NHK大河ドラマで和泉元彌が時宗の役を演じ、軟弱すぎて似つかわしくないと非難が起こりましたが、あの軟弱さが実物に近い姿だったのかも知れません。

ところが窮地になると一転…

蒙古来る 北より来る 相模太郎、胆甕(たんかめ)の如し
蒙古来る 我は怖れず 我は怖る 関東の令、山の如きを

江戸時代の歴史家の頼山陽は、北条時宗の不倒不屈の精神力と肝っ玉の太さを甕の如しと大絶賛します。

「 莫 煩 悩 」

煩い悩むな!
不安、葛藤、妄念妄想を一刀両断し、
過去を悔まず、未来を憂えず、
覚悟を決めて、いま為すべきことを断行せよ!

北条時宗の「莫煩悩」の境地は、我々に鎌倉武士たちの「武道」の何たるかを思い知らせてくれます。

武道を修める私達は、まさに「莫煩悩」をもって日々の勉強に仕事に取り組まなければいけません。
特に受験生には、不安や葛藤、ストレスで煩い悩むことなく、最後の追い込みの勉強に没我没頭して受験に臨んで頂きたい!

高見空手門下の受験生に送る言葉
「莫煩悩、喝!」

高見 彰

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